空紡糸と吊り編みT

空紡糸と吊り編みT

NagaoDaisuke

 

午後4時、チャールズ川沿い。

レンガ造りの街並みを歩いていると

目の前を横切った男性の背中が目を引いた。

少し色の抜けたデニムに、白いTシャツ。

それだけの装いなのに

なぜか記憶に残る。

 

 

彼が歩いていたのは

ケンブリッジの書店街。

ハーバードのキャンパスから

少し離れたエリア。

古本屋のウィンドウには

ツルゲーネフのペーパーバックと

80年代のTIME誌。

古びた舗道の石畳に

白Tが落とす影が美しい。

 

 

armiのスタンダードTシャツは

そんな情景に自然と溶け込むような一枚だ。

素材は、アメリカ産の空紡糸

──かつてワークウェアや大学生協の

Tシャツにも使われていた

無骨で頼れる糸。

この糸の面白さは

その“粗さ”にある。

 

1950年代のアメリカ、ポスト・ウォーの

大衆消費が本格化し始めた時代。

大学ではジーンズと白Tシャツが

“知識層の反骨”として機能していた。

高価なスーツを脱ぎ捨て

もっと自由でラフな格好を

受け入れた学生たち。

彼らが好んだのが

空紡糸のTシャツだった。

 

 

それは決して上等ではない。

でも、毎日着てもへこたれず

洗濯機でガシガシ洗える。

なにより、繊維の短さが生む

独特のドライタッチと、風合いの粗さが

知的な装いに“人間味”を足してくれる。

 

その糸を

日本・和歌山の吊り編み機で

丁寧に編む。

旧式の機械が

時間をかけて空気を

織り込むように作る生地。

その結果、タフなのにどこか柔らかい

空紡糸に“思想”が加わる。

 

 

このTシャツを着て

ボストンの街を歩く。

レンガの壁、煙る午後の光

ちょっと酸っぱいコーヒー。

見た目はベーシック。

でも、全身が風景の一部に

なるような感覚。

 

とてつもなくベーシック。

けれど主張がある。

その静かな自己主張は

完成度が高くなければ成立しない。


キング・オブ・ベーシック。

これはただの白Tではない。

日常に対するひとつの「答え」だ。

 

シルクのような気品ではなく

機能美としての上質。

光沢ではなく、質感と空気感。

そういう意味で

このTシャツは“思想のある日用品”なのだ。

 

armiの白T

消費の反対側にある。

着ることで

選ぶことの意味が深まっていくような一枚。

 

今年の夏もまた

チャールズ川から吹く風を受けながら。

何も語らないこのシャツが

ただ静かに、景色に馴染んでいく。

 

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