普通であることの、強さ。

普通であることの、強さ。

NagaoDaisuke

わざわざ気合いを入れなくても、いい。

 

どこか

Stranger Than Paradiseのワンシーンのような

あるいはBoyhoodの何気ない午後のような。

アメリカのどこかの街角で

コーヒーを片手にただ立っているだけなのに

なぜか様になっているあの感じ。

 

部屋でくつろぐための

服のまま外へ出る。

なのに、ちゃんとかっこいい。

そんな佇まいに

いまはどうしても惹かれてしまう。

 

高級なブランドや

トレンドの最前線。

もちろんそれらには力がある。

完成度も高い。

でも、全身をそれで固めたとき

ふと立ち止まってしまう瞬間がある。

 

——それは誰のための装いなのか。

 

若い頃は、違和感をまとって

街を歩いていた。

「それがファッションだ」と

肩で風を切るように。

少し斜に構えて、少し背伸びして。

あの頃はあれでよかった。

 

でも正直に言えば、もう疲れた。

 

こう思われたい。

自分はこういう人間だと見せたい。

誰かに向けた必死のアピール。

承認欲求だけで選ぶ服やモノは

どこか呼吸が浅くなる。

着ていても、持っていても

ほんの少し緊張している。

 

ファッションに限らず

ライフスタイルの中で使うモノは

本来、他人のためではなく

自分のためにあるはずだ。

そう考えると

ブランド名やトレンド、価格

希少性といったラベルは

急にどうでもよくなる。

 

自分が心地よいかどうか。

それだけでいい。

本当は、それでいいはずだ。

 

 

前置きが長くなった。

 

そんな今の気分にちょうどいい一枚がある。

ユーズドのパジャマシャツ。

特別に古いわけでもない。

最新素材でもない。

デザインも、驚くほど普通。

 

でも、その“普通さ”がいい。

 

誰かに見せつけるためではなく

自分が楽でいられるための服。

 

 

色落ちした、ごく普通のデニムを穿く。

その上に、少し洗いざらした

パジャマシャツを羽織る。

ボタンは一つ二つ開けてもいいし

きっちり留めてもいい。

 

足元だけ

ほんの少しだけ背筋を伸ばす。

上質なレザーシューズを合わせてみる。

 

たとえば、少しだけ艶のあるプレーントゥ。

履き込むほどに味が出るような

ちゃんとした革靴。

それだけでいい。

 

家からそのまま出てきました

みたいな顔をして

でもどこか整っている。

 

気張らない。

盛らない。

けれど、だらしなくもない。

 

街に溶け込むというのは

目立たないということではなく

無理をしていないということだと思う。

 

もう他人のために頑張るのに疲れた

という人へ。

 

ユーズドのパジャマシャツは

いまの自分たちの体温に

いちばん近い服かもしれない。

 

普通であることを

もう一度信じてみる。

 

それだけで、十分かっこいい。

 

 

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