
掌の中の彫刻。
NagaoDaisuke
大阪・枚方の住宅街にひっそりと佇む
アトリエから生まれる「SHOKKI」は
ろくろを使わず、すべて手捻りによって
造形されるセラミックスブランドだ。
機械的な均質性とは無縁のそのフォルムは
むしろ“不完全”であることの
美しさを体現している。
手捻りというプリミティブな手法に
よって成形される器たちは
すべてが異なる姿かたちをしている。
均整をあえて崩したようなシルエットは
焼成によってさらに独自のテクスチャーと陰影を得て
単なる器という枠を超え
もはや小さな彫刻作品と言っても過言ではない。
その“ゆらぎ”には
人間の手だからこそ生まれるリズムが宿っている。
奇をてらうことなく
それでいてどこかクスリと
笑わせるような親密さ──。
SHOKKIの作品を手にした瞬間
いつの間にかその温度感に引き込まれてしまう。
実用性を帯びたアートという領域。
日々の食卓にそっと寄り添いながら
ふとした瞬間にアートピースとしての存在感を放つ。
SHOKKIの器は
使うたびに新しい表情を見せ
使い手の感性と共鳴していく。
いま、クラフトがあらためて注目されているのは
まさにこういうプロダクトがあるからだと思う。
手のひらに収まる、小さな物語。
そこには、大量生産にはない“個”としての魅力と
自由な発想の美しさが詰まっている。
まるで地層のひび割れを閉じ込めたかのような表情。
この花器は、器というよりむしろ時間を
封じ込めた彫刻である。
触れた瞬間、“土”が
まだ生きているという感覚を思い出す。
手捻りによる柔らかな歪み、マットな質感
そして意図的にコントロールされない
裂け目のようなライン
──それらは自然と人為が交差する
陶芸における静かな冒険のよう。
花器として
たとえば、ドライフラワーや
ワイルドグラスとの相性は抜群。
写真のように葉先の動きが印象的な
植物をあえてラフに挿すことで
花器の彫刻的ラインと呼応する
彫刻 × 彫刻の構成が生まれる。
花を生けるというより
オブジェを完成させる感覚。
直線と曲線、乾きと瑞々しさが交わる
その一点に視線が集まる。
オブジェとして
空間に飾るなら
アートブックを数冊重ねた上に置いて
“高さ”を演出するのが効果的。
背景に石膏像やモダンなアートフレームを添えると
ナチュラルとアーバンの狭間で
揺れるような緊張感が生まれる。
白壁に淡く影を落とすその姿は
まるで呼吸する彫刻のようだ。
SHOKKIの器は
あくまで“道具”であることを拒む。
それは日常の延長線上にある非日常。
機能性から解放されたとき、器は詩になり
空間に沈黙の余白をもたらす。
この花器にふさわしいのは、完璧な構成よりも
不完全の美しさを楽しむ余裕だろう。