偏りを愛する、というスタンス

偏りを愛する、というスタンス

NagaoDaisuke



自分たちは根っからの服好きだ。

どちらかというと収集癖寄りで

着るよりも“持っている”ことが

好きだった時期もある。

毎日違う服を着る。

選択肢が多いことが

豊かさの証明だった。

 

でも、年齢を重ねると

少しずつその感覚は変わってきた。

 

たくさんあることが

だんだん負担に感じられるようになった。

所有しているはずなのに

何を着ればいいのか分からなくなる朝。

選択肢の多さが

自由ではなく“選択疲れ”を生む。

そんな矛盾を実感するようになった。

 

だからだろうか。

いまの自分たちは

すべてを“絞る”方向に意識が向いている。

これはファッションというより

生き方の話なのかもしれない。

 

例えば、いつか実現したい願望がある。

 

シャツは白だけ。
パンツはネイビーだけ。
デニムはブルーのUSEDだけ。
スウェットはグレーだけ。
ニットは黒だけ。
シューズも黒だけ。

 

偏っている。いや、かなり極端だ。

でも、自分の中で「これさえあればいい」と

思える定番だけを並べていくと

自然とこうなっていった。

 

 

かつては選び放題だったはずの

クローゼットが

少しずつ静かになっていく。

色彩も、形も、ディテールも

必要最低限へと向かっていく。

でもそれは、“我慢”ではない。

むしろ、余計なノイズを

削ぎ落としたあとの、心地よさだ。

 

 

世の中には「一生モノ」

という言葉がある。

けれどそれは、本当だろうか?

大量に生産され

次のシーズンには「もう古い」と

されてしまう服たちに

果たして“生涯”を託せるだろうか。

 

自分は思う。

一生モノとは、モノの質ではなく

選び手の覚悟の問題だ。

モノに寿命はある。

でも、それとどう向き合うかは

人それぞれだ。

だから私たちは

一生モノというフレーズを

お客様には使わないように

している。

 

 

大量生産、大量廃棄

大量の選択肢。

それが当たり前に

なってしまった時代に

本当に必要な服ってなんだろう。

 

この問いに

自分なりの静かな答えを

出したいと思っている。

偏愛でも、偏屈でもいい。

たったひとりの定番が

きっと誰かにとってのヒントになる。

 

店という場所は

本来もっと私的でいいはずだ。

自分たちのクローゼットを

そのまま拡張したような空間。

そこには、商業主義とは真逆の

美意識と偏りが生きていてほしい。

 

この時代に、あえて“減らす”

という選択肢を掲げること。

それが、今いちばん自分たちが

やってみたい表現だ。

 

ブログに戻る

コメントを残す

コメントは公開前に承認される必要があることにご注意ください。