ベターの話をしよう。

ベターの話をしよう。

NagaoDaisuke

 

京都・岡崎で「UN」という洋服屋を

妻が始めまして

私も番頭として日々せっせと

立たせていただいております。

いわば“夫婦二人三脚のスタイル部門”。

お客様との会話も、なかなかに奥深く

つい哲学的な話になることも。

 

 

ここ数年、特によく出てくるテーマが

「服、高くなりましたよねぇ」。

ええ、なりましたとも。

デザインも、クオリティも

どれもこれも素晴らしい。

けれど、それでも

「休日にこれ着てコンビニ行けるかな…?」

と躊躇する気持ちも、ものすごく分かる。

 

 

おしゃれって誰かに見せるものだった時代から

自分が納得するものを選びたいっていう時代へ。

年を重ねるって

そういうことなのかもしれません。

 

 

 

「無茶苦茶カッコイイけど、日常では浮くんです」
「むちゃくちゃ可愛いけど、着るシーンがないです」

 

そんな声もよく聞こえてきます。

若い頃なら「いやいや、そこは攻めましょ!」

と強引にプッシュしていたと思う。

でも今の自身は違います。むしろ

「その気持ち、すごく分かる」と

うなずきながらお茶でも出したくなります。笑。

 

 

じゃあどんな服がいいのか?

ベストじゃなくて、ベター。

感動より安心。

一軍より“いつもの”。

日常に溶け込む

少しだけ気分が上がるような、そんな服。

 

 

 

ただし、ここで一つ問題が。

“ベター”を極めようとすると

途端に「没個性」と「独自性」の境界線で

迷子になるのです。

地味だけど地味すぎない。

派手じゃないけど、ちゃんとオシャレ。

つまり“最高の普通”。

これがなかなか、ない。

 

 

大量生産のファストファッションでは心も踊らず

メゾンブランドの芸術的な服は

日曜のスーパーには浮く。

 

そのあいだ。

その絶妙なラインを行ったり来たりする服こそが

今の私たちには必要なんじゃないかと思っています。

パッと手に取れて、サッと袖を通して

鏡を見たら「よし、今日もいい感じ」。

そんな一着。

 

 

意外と、まだ見つかっていません。

だから、探し続けているんです。

日々、お客様との会話のなかで。

 

 

最高の普通。

その答えは、たぶん

店のハンガーのどこかに、ある(かもしれない)。

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