
― ファッションとともに歳を重ねるということ。
NagaoDaisukeふと気がつけば
この業界に身を置いてもう30年以上が
過ぎていた。
年齢を重ねるほどに
時間の流れが速くなったように感じるのは
誰しもに共通することだろう。
僕が服に興味を持ち始めたのは
高校時代のことだった。
始まりはとてもシンプルだった。
「モテたい」という願望。
野球漬けの毎日、坊主頭に学ラン姿では
どうにも色気がなかった。
一方で、街にはバブルを謳歌する洒落た連中がいた。
彼らが眩しくて、羨ましくて
彼らに追いつきたくて。
気づけば僕は、ファッションという名の“沼”に
静かに沈みはじめていた。
当時の古着は
まだまだ手が届きやすかった。
梅田ロフトですら古着を扱っていた時代。
USEDレギュラーのLevi’sの501を初めて
手に入れた高校2年の冬。3800円。
今のユニクロのデニムと同じくらいの値段だったが
そこに宿っていたのは「価格」ではない
「文化」だった。
服を買うことは、文化を買うことだった。
一枚のヴィンテージウェアが
自分をまったく新しい場所へ連れて行ってくれた。
服を通して、自分の世界が広がっていく。
その感覚は、今でも記憶に焼きついている。
20代、30代と
情熱は変わらなかった。
だが、40代を過ぎた頃から
少しずつ自分の中に変化を感じるようになった。
服を選ぶことに
少し億劫さが混じるようになったのだ。
年齢や生活環境の変化、付き合いの場も減り
「着飾る必要」は自然と薄れていった。
そして気づく。
「それでも、やはり良いモノを纏いたい」と。
大人になってわかる
“良いモノ”の価値。
服に限らず、道具、食べ物、生き方。
何が良いかは人によって違う。
だからこそ、自分の「良い」を
持っていることが大事になってくる。
若い頃は感覚だけで選べたものが
年齢とともに“選ぶ理由”を求めるようになる。
そしてあるとき、思うのだ。
「もう何を着ても似合わないのではないか」と。
だが、僕は言いたい。
歳を重ねるからこそ
ファッションは必要なのだと。
若さという武器に頼れなくなったとき
自分を最もよく映してくれるのが
ファッションという“装い”だ。
大人の服には、余白と静けさ
そして確かな思想が必要だ。
なんでもいい
では済まされなくなる。
“どう見せたいか”ではなく
“どう在りたいか”を映すのが
大人のスタイルなのだと思う。
人生の時間は有限だ。
だからこそ、日々を丁寧に
愉しみながら生きていきたい。
その中に、そっと寄り添ってくれるようなファッションを
僕はこれからも選びたいし
届けていきたいと思っている。
ファッションは、生き方の輪郭を
そっとなぞってくれる。
それは若者のためだけのものではなく
歳を重ねた今だからこそ
必要なものなのだと、僕は信じている。
本日の自撮り
#3分LOOKING