土と語り、火と向き合う。

土と語り、火と向き合う。

NagaoDaisuke

 

陶器作家・宮田春花の手がける

大鉢という静かな存在。

長野県、朝霧の立ち込める山あいの土地に

ひっそりと佇む小さな工房がある。  

陶器作家・宮田春花は、ここで日々

土と向き合い、火を操る。

自然の気配が濃く残るこの場所は

彼女の創作の源であり、静かな対話の場でもある。

「土をこねていると
余計な思考が消えていくんです。
無になれるというか、自分の輪郭が
ふっと浮かび上がってくるような感覚があります」

彼女の作品づくりは

いわゆる「作陶」だけにとどまらない。
 
地元の土を選び、丁寧にこしらえ

さらには灰釉(かいゆう)まで自らの手で調合する。
 
すべては、素材の声に耳を澄ませ

自分の手でその輪郭を引き出すため。

効率や量産とは無縁の、きわめて誠実な営みだ。

完成した器たちは

どれもが一点もの。

そのなかでも、大鉢には彼女の

美意識が色濃く表れている。
 
素朴な土の肌合いをそのまま残した

その姿は、まるで自然そのものを

切り取ったような佇まいだ。

だが、その奥には確かな造形力と

研ぎ澄まされたバランス感覚が宿る。

 

「“使うための器”であることは大前提。
でも、同時に空間に呼吸を生み出すような
存在でもあってほしいんです。
そこにあるだけで、気配が変わる。
そんな器を目指しています」

 

宮田春花の大鉢には、

土の野生と人の理(ことわり)が同居している。
 
そこには女性らしい繊細さがある。

だが、それは決して弱さではない。

芯のある柔らかさ、たおやかさという強さ。
 
炎を経た器だけが持ち得る

静謐で力強い美が、そこにはある。

宮田春花 / 大鉢

 


淡く、やわらかに揺らぐ釉の痕跡。

この大鉢に出会ったとき

まず心を奪われるのは、その「余白」だ。

意図された静けさのなかに

焼きもの特有の即興的な美が浮かび上がる。

手跡も声も削ぎ落とされた先に、確かな意志だけが残る。

 

「灰釉のにじみや濃淡は、火との対話の結果なんです。
コントロールしすぎないことで、器に呼吸が生まれると思っています」

 

長野の土を練り上げ、自ら調合した釉薬を纏わせ

じっくりと焼き締める。

その過程のすべてを、宮田春花は一人で行う。

効率とは無縁の、孤独で、しかし豊かな仕事だ。

この器には、力強さがある。

だが、それは決して荒々しさではない。

土の質感をそのままに残しながらも

全体のフォルムは柔らかく

どこか凛とした気配を湛えている。

内なる強さと繊細さ。

そのどちらもを引き寄せるバランス感覚が

作品に独自の存在感を与えている。

宮田春花の器は、静かに、確かに

使い手の暮らしに寄り添う。

その余白に、季節の彩りや記憶の断片が

そっと宿る。

 

宮田春花 / 鉢

 

土の粒子がまだ生きているかのような

荒々しくも温かな肌合い。

光を受けてほのかに輝く釉の表情は

あたかも大地が雨を湛えた瞬間のよう。

この大鉢には

作為を超えた自然の美が封じ込められている。

彼女は、器を「完成品」ではなく

暮らしのなかで育っていく“風景”のようなものとして捉えている。

この器には、作家の意図がありながら

それ以上に素材と火の意思が宿っている。

内側に深く伸びる釉の流れ

ところどころに浮かぶ鉄粉の景色

そして口縁にほんのりと覗く赤土の色味。

そのどれもが偶然であり、必然だ。

日常の器でありながら

詩情を感じさせる存在。

 


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