
初夏の街角と、N.Yのデニムショーツ。
NagaoDaisuke
5月以降になると
肌に触れる風が少しずつ軽くなる。
朝の空気に、ふと夏の匂いを感じた
その日からショーツの季節が始まる。
これはもう、習慣のようなものかもしれない。
かつては
ショーツを履かない年が
長く続いたこともあった。
何となく「ラクすぎる服」は
自分のスタイルには合わないと思っていた。
けれど、10年近く経った今では
5月以降になると自然と
クローゼットの奥からショーツが顔を出す。
理由は明快。
楽であること。
けれど
だらしなくはならないこと。
そして何より、肩の力を抜きながらも
きちんと“かたち”が決まる。
そんな条件を満たしてくれるのが
デニムのショーツだ。
デニムショーツに対する意識が変わったのは
15年前ニューヨークを
訪れたときだった。
真夏のブルックリン
ベッドフォード・アヴェニューの
通りを歩く人たち。
何気ないTシャツに、ラフなデニムショーツ。
足元はスニーカー、あるいはサンダル。
ただそれだけなのに、妙にカッコいい。
暑さに抗うのではなく
委ねているようなスタイル。
その力の抜けたバランスに
ワタシは少し嫉妬したのを
覚えている。
N.Yでは、装いは生き方に
限りなく近い。
誰かの目を気にするのではなく
自分の輪郭を確かめるように服を選ぶ。
だから、ラフな格好でも
背筋が伸びている。
あの街には「頑張ってる感」を
感じさせない、自然体の美学がある。
デニムショーツもまた
そんな美学を支える一着だった。
カットオフされただけのもの
パッチワークの入ったアーティな一本
上質なツイルデニムで
仕立てられたミニマルなもの——
それぞれが
着る人の哲学を語っているように見えた。
日本ではようやく
そうした“抜け感”のスタイルが
馴染んできたように思う。
スタイルの良い若者も増えたし
街を見渡せば
服を自分の言葉として選んでいる人が増えた。
けれど
それでもときどき思う。
あのN.Yの、無造作でいて
芯のある装いのように
もっと「語らない格好よさ」が
あってもいいのではないかと。
デニムショーツは
そんな無言のスタイルを
つくることができる稀有な存在だ。
涼しく、気軽で、でもスタイルが残る。
そんな夏に履いてもらいたい
デニムショーツも
店頭にスタンバイ。
roundabout / Denim Easy Shorts
今年の夏も
そんな一本とともに
街を歩いてみたい。
初夏の京都と
真夏のニューヨークを少しだけ重ねながら。