なんか、かっこいいやん。アメリカの車屋スウェットと京都の日常

なんか、かっこいいやん。アメリカの車屋スウェットと京都の日常

NagaoDaisuke

 

 

実在するアメリカのローカルな車屋。

そのスタッフが日常的に着ている

ユニフォームスウェット。

 

たとえばそれは

誰かに“見せるため”に作られたものではなく

あくまで“働くため”の一枚。

油の匂いが染み込み工具に擦れ

何度も洗われてフェードしていく。

その過程すら前提として設計されている衣服だ。

 

だからこそ、そこに宿るロゴはいい。

デザインしようとしていないデザイン。

狙っていないのに

結果として完成してしまっているバランス。

 

 

タイポグラフィの微妙なズレ

色の抜けたプリント、配置の違和感。

どれもが“未完成”に見えて

なぜか完成されている。 

ファッション文脈で語られる 

グラフィックとは明らかに別の系譜にある。

ロゴキャップ、ロゴT、そしてスウェット。

いわゆる企業モノと呼ばれるそれらは

量産された消費物でありながら

同時に“道具”でもあった。


海の向こうでは

それはただの仕事着であり

制服であり、日常そのものだった。

 

ファストファッションのそれとは違う。

短期的に消費されるための衣類ではなく

使われることを前提に存在していた衣類。

そこにあるのは

思想でもトレンドでもなく、ただの現実だ。

 

そのリアリティを

いま改めて日常に差し込む。

 

京都。たとえば左京区

少し空気の抜けた午後。

鴨川沿いを歩くとき

肩の力を抜いたレギュラースウェットが

ちょうどいい。

 

身幅はゆったり、着丈はやや短め。

いわゆる“普通”のシルエット。

インナーに白Tを一枚噛ませて

裾から少しだけ覗かせる。


ボトムはナイロンのイージーパンツか

洗いのかかったデニム。

足元は履き慣れたスニーカー。

それだけでいい。

 

祇園の石畳に持ち込む必要もなければ

特別な演出もいらない。

コンビニに寄る、コーヒーを買う

川沿いで少し座る。

そういう行為の中に

このスウェットは自然に馴染む。

 

 

“ファッションとして着る”のではなく

“そのまま着る”。

 

結果として

それが一番クールに見える瞬間がある。

 

結局、服に求めているものは何か。

理由や背景を語り尽くした先に残るのは

驚くほどシンプルな感覚だ。

 

なんか、かっこいいやん。

 

その一言に、すべてが集約されている

 

 

used / 00's SWEAT



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