「あの頃、夢を着ていた。今は、暮らしを着ている。」

「あの頃、夢を着ていた。今は、暮らしを着ている。」

NagaoDaisuke

「ファッションって、なんだろう?」

 

 

20代、30代の頃は

「今日、何を着よう?」に

迷いなんてなかった。

雑誌をめくれば、欲しいものはすぐに見つかり

多少の無理だって楽しみに変えられた。

ファッションは

自分を変えてくれる魔法のような存在だった。

けれど、年齢を重ねると

ふと立ち止まる瞬間が増えてくる。

これ、似合ってるだろうか?

派手すぎない? 逆に地味すぎない?

若さというアドバンテージが

ひとつずつ手元から離れていく感覚。

着られていたはずの服が

急に「着られてしまっている」気がするのだ。



近年の

目が覚めるような物価の高騰も

追い打ちをかける。

「今しか着られない」服や

「来年には飽きてしまいそうな」デザインに

高額を払うことに抵抗が生まれた。

服選びにおいて、瞬間の輝きよりも

持続する価値を求めるようになったのだ。

良い素材、良い縫製、良いデザイン。

それらが年齢や流行に左右されず

自分の暮らしに根を張ってくれるものなら

着るたびに気持ちが整う。

けれど、それはファッション業界の

「旬」や「提案」から見ると

どこか温度が低い選択に見えるかもしれない。



ファッションとは夢を売るもの——その考え方は

もちろん正しい。

若い頃の自分もそう信じていた。

理想や空想、少しの背伸び。

現実を越える装いに、憧れを詰め込んでいた。

でも今は

夢の見方が変わっただけなのだと思う。

肩の力を抜いて

日常にやさしく寄り添う服を選ぶようになった。

ラグジュアリーとは

“派手さ”ではなく“穏やかな心地よさ”の中にある。


思えば若い頃は

流行の波にカメレオンのように色を変え

街に溶け込むように服を着ていた。

でも今なら言える。



「誰かになりたい」じゃなく

「自分に戻る」ための服がほしいのだ、と。


タイムパラドックスが可能なら

30年前の自分に会ってこう言いたい。

服の価値は

ブランドでも、価格でも、希少性でもない。

“着たい”“好き”という直感が、すべての答えだと。

 

そう思えるようになってから

服選びが自由になった。

また服を着ることが楽しくなった。

それは、過去に置いてきた“ワクワク”の形が

新しい季節とともに

静かに戻ってきた証なのかもしれない。

 

本日の自撮り

#3分LOOKING

 

 

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